司法界では、ときに画期的な判決が世間をにぎわせる一方で、多くのとんでもない判決 (トンデモ判決)が日々生み出されていることは世間にはあまり知られていません。
主に当研究会員が経験した事例から、選りすぐりのトンデモ判決をご紹介し、司法界のあり方・問題点を考えていく、仙台弁護士会所属の弁護士有志による研究会が仙台トンデモ判決研究会です。

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第4回 事案の概要
原告(兄)と被告(弟)は、2005(平成17)年12月、被告が母名義の不動産を取得する代わりに、被告が原告に対して、分割して合計600万円を贈与する契約を締結しました。贈与金は、2005(平成17)から2010(平成22)年までは毎年12月末日限り50万円ずつ支払い、2011(平成23)年には、12月末日限り、残金300万円を一括して支払うことになりました。
上記贈与金契約に先立つ2003(平成15)年1月、原告が弁護士に依頼して自己破産をするにあたって、被告が弁護士費用32万5000円を立て替えたため、被告は、上記の2011(平成23)年12月末日限り支払う予定だった贈与金300万円から、立て替えた弁護士費用32万5000円を差し引き、267万7500円を原告に振り込みました。原告は、被告が弁護士費用32万5000円を差し引いたことを不服として、2021年11月、仙台簡易裁判所に32万5000円の支払いを求めて、被告に対し、贈与契約金請求訴訟を提起しました。なお、第1審は、原告も、被告も、弁護士に依頼しない、本人訴訟でした。
仙台簡裁は、被告名義の領収書がある19万9500円については、被告の立替金債権が存在することを認定しつつ、贈与契約をする際に、立替金を控除しなかったのは不自然であるなどと述べて、なぜか32万5000円全額について認容する判決をしました。(その論理はよく理解できません。1審判決文をご参照ください。)この1審判決に対し、被告は、立替金による相殺を主張し、贈与金の支払い義務を争って控訴しました。
控訴審判決は、1審判決と同様、被告(控訴人)名義の領収書がある19万9500円については、被告(控訴人)の立替金債権が存在することを認定しつつ、「被告(控訴人)が合意相殺だけを主張している」と主張整理し、合意相殺の合意が認定できないという理由で、被告(控訴人)の控訴を棄却しました。
POINT
第4回 判決の問題点
①相殺の抗弁についての判断の遺脱
「判断の遺脱」とは、判決に影響を及ぼす重要な事項についての判断が判決理由から抜け落ちている場合を言います。これは、上告理由や再審事由となるとされており、判断の遺脱があれば、その判決は当然に違法になります。
被告(控訴人)が主張する相殺の抗弁が認められれば、判決の内容は変わってきますので、相殺の抗弁について判断しなければ、「判断の遺脱」として、その判決は違法になります。
本件において、被告(控訴人)が相殺の抗弁を主張していることが明らかであるにもかかわらず、控訴審判決は、「被告(控訴人)が合意相殺だけを主張している」と主張整理して、合意相殺の可否だけを判断し、通常の相殺の抗弁については判断しませんでした。本件の控訴審判決が、「被告(控訴人)が合意相殺だけを主張している」と主張整理した理由は、被告が、1審の答弁書において、「平成23年12月に26750000円を振り込む前に電話で、原告が自己破産した際の弁護士費用325000円を被告が立て替えたため、その分を差し引くことに原告の了解を得て、振込んだ。」と記載していることにあると思われます。
しかし、この文中に「合意相殺」という文言はなく、通常の判断能力を有する者がこの文章を読めば、通常の相殺を主張していることは明らかであり、合意相殺を主張していると解釈するのは困難です。また、合意相殺を主張するメリットがあるのは、法令上相殺が禁止されるなど、通常の相殺が制限される場合に限られており、そのような制限がない場合にわざわざ合意相殺を主張するメリットは存在しません。とくに、本件のように、合意相殺を基礎づける客観的証拠が存在しない場合に、「合意相殺だけを主張する」という事態は常識的に考えられません。
さらに、1審判決文でも、「合意相殺」という文言は使われておらず、「被告の主張」として摘示されているのは、「被告は、平成23年12月に267万50000円を振り込む際に、電話で原告に連絡して、上記金額(弁護士費用のこと)を差し引く旨を伝え、原告の了解を得た上で振り込んだ。」というものであり、合意相殺ではなく、通常の相殺を主張していることは明らかです。
したがって、被告(控訴人)が上記答弁書で主張しているのは、合意相殺ではなく、一方的意思表示による通常の相殺であり、「原告の了解を得て、振込んだ。」という部分は単なる事情として記載されていることは明らかです。この点は、控訴審において、被告(控訴人)が提出した控訴理由書でも、合意相殺にはまったく触れず、もっぱら通常の相殺の可否だけを主張していることからも裏付けられます。
控訴審判決が、「被告(控訴人)が合意相殺(だけ)を主張している」と主張整理したのは、1審の被告(控訴人)本人の答弁書の記載につき、そのように読もうと思えば読めないことはない、という程度です。
このように、控訴審判決が、合意相殺の可否だけを判断し、通常の相殺について判断していないことは、判断の遺脱であり、理由不備にあたる(民訴法312条2項6号)という主張を中心に、被告(控訴人)は、仙台高裁に上告しました。
なお、最高裁平成27年12月14日判決(民集69巻8号2295頁)は、原判決が相殺の抗弁について判断しなかった事案において、理由の不備があるとして原判決を破棄し、事件を差し戻しており、相殺の抗弁について判断しなかったという判断の遺脱が上告理由となることは明らかです。
②釈明義務違反
民訴法149条は、当事者の主張・立証に不明瞭な点がある場合に、裁判所が質問をしたり、立証を促すことができるという「釈明権」を認めていますが、一定の場合は、釈明権を行使することは裁判所の義務であり、この釈明義務に違反した場合は違法になると解されています。
本件では、上記のとおり、控訴人が合意相殺を主張しているとは通常は考えられないので、もし控訴審裁判所がそのような解釈をしたのであれば、「通常の相殺の抗弁を主張していないのかどうか」という点を控訴人に対して質問をしなければならず、このような質問をしなかったことは釈明義務違反になると考えられます。
③唯一の証拠方法の却下
民事訴訟では、争点に対する唯一の証拠方法については却下してはならず、これを却下した場合は違法になるとされています。
被告(控訴人)は、控訴審で、被告(控訴人)本人の尋問を申請する意向を示しましたが、控訴審裁判所はこれを認めず、強引に結審しました。
しかし、控訴審裁判所が、「被告(控訴人)が合意相殺だけを主張している」と解釈したのであれば、被告(控訴人)の本人尋問は唯一の証拠方法になるので、これを採用しないことは許されません。
このような唯一の証拠方法を採用しなかった点でも、本件控訴審裁判所には問題があったと考えられます。
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第4回 会員コメント
仙台弁護士会所属の弁護士有志による考察

A会員
この判決は、当事者の意思や手続保障を無視して、とにかく事件を処理すればよいという最近の裁判所の姿勢を如実に表したまさにトンデモ判決です。もし、裁判所が、「被告(控訴人)が、通常の相殺を主張せず、合意相殺だけを主張しているかもしれない」などという常識的には極めて考えにくい事態を想定したのであれば、この点を求釈明すべきであり、このような求釈明もせずに、当事者がまったく想定していない合意相殺の可否だけを判断したのは、完全に不意打ちです。まったく常識外れのトンデモ判決なので、★5が相当です。なお、この裁判体は、本件に限らず、目を疑うようなトンデモ判決を連発しており、後でこの裁判体による別のトンデモ判決をご紹介することになりそうです。

B会員
民事訴訟の原則として、「弁論主義」があります。これは訴訟における主張や証拠の提出を当事者の責任と権限とする原則であり、法律を学ぶものであれば誰しもが前提とする原則です。
この判決は当事者の主張や証拠関係を無視して、自らが考える主張に沿って整理した結果、合意相殺のみを争点として判断をしていますので、弁論主義を逸脱する虞があるものです。
当事者にとって不意打ちになるだけではなく、「紛争の解決」という機能すら放棄しかねない問題のある判決だと思います。

C会員
本件判決は、裁判所の釈明義務(民訴法第149条1項)に反する違法な判決と思います。
被告が一審の答弁書において、「…弁護士費用32万5000円を被告が立て替えたため、その分を差し引くことに原告の了解を得て振り込んだ。」と記載している点については、少なくとも、通常の「相殺」をする意思は認められると解釈できます。被告の意思が不明確であれば、裁判所は求釈明をすればいいのであり、それすらしないで合意相殺だけを主張していると認定したのは、釈明義務違反にあたると考えられます。
上田徹一郎著「民事訴訟法」によると、釈明権は、弁論主義の補充・修正のために設けられた規定であるから、釈明「権」であると同時に釈明「義務」でもあると記載してあります。
これを本件判決に当てはめれば、上記被告の答弁書の主張について、合意相殺だけを主張していると主張整理した本件控訴審判決は、まさしく釈明義務に反していると思います。

D会員
控訴において被告が「合意相殺」などという特殊な主張をしておらず、単に通常の相殺を主張している以上、そもそも弁論主義違反という違法な判決です。
そのうえで、控訴裁判所としては、被告の意思が仮に不明確である場合には、釈明義務として当事者の主張を正確に把握すべきであったと思いますので、釈明義務違反でもあると考えます。
近日の裁判所の「とりあえず事案処理だけをすればいい」という対応を如実に表す判決であると思いますし、このような「雑な」裁判がされるようでは、到底国民の権利など守られるはずもなく、非常に憂慮すべき内容だと思います。

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第3回 事案の概要
原告(妻)と被告(夫)は、1997年婚姻し、1998年長女をもうけました。被告は国立大学の理学部大学院を修了するなどしたのち、国内トップクラスの電機メーカー等で半導体技術等の研究を続け、2005年、韓国のトップクラスの電機メーカーにヘッドハンティングされ、原告と長女とともに韓国に移住しました。
被告は、外国人エンジニアとしてはトップクラスの年俸1600万円で迎えられ、その後別の会社に転職するなどしながらも、2018年に韓国企業を退社して日本に帰国するまで同程度の年俸を13年間にわたって維持しました。なお、2005年当時の韓国における平均収入は、日本の6割程度だったので、これを踏まえると、韓国において支払われた1600万円は、日本に置き換えると3000万円近い価値があるものです。しかも、渡韓した2005年当時、被告はまだ30代という若さでした。
2008年、原告は長女を連れて日本に帰国してしまい、それ以降、原告と被告はめったに連絡を取り合わず、基本的には被告が原告に生活費を送金するだけの状況が続きました。もっとも、その間も、被告は年に数日程度だけ日本に帰国して、原告らと自宅で一緒に過ごしたりする状態が2016年ころまで続きましたが、2017年に長女が進学のため自宅を出てしまった後は、被告はまったく自宅に戻ることはなくなりました。そして、2018年5月には、被告は韓国企業を退職したことも、連絡先や新しい住所も一切原告に告げずに、日本に帰国しました。
その後、被告が帰国したことを知った原告は、被告と一度も連絡を取ることもなく、離婚調停申立てを弁護士に依頼しました。
以上のような事実関係で、本件訴訟では、原告が被告に対し、離婚とともに財産分与を求めました。離婚については争いがないため、財産分与が問題となりました。財産分与についての争点は、大きく2つあり、①財産分与の基準時につき、2008年に原告と長女が日本に帰国した時点か(被告が主張)、2018年に被告が日本に帰国した時点か(原告が主張)という点と、②仮に財産分与の基準時を2018年とした場合、財産分与の寄与割合は半々か(原告が主張)、それとも寄与割合を被告に有利に変更すべきか(被告が主張)という点です。
①財産分与の基準時については、被告は、2008年に原告と長女が日本に帰国した時点で婚姻関係が破綻しており、この時点を基準時とすべきと主張しました。
これに対し、裁判所は、「原告と被告は、平成20年6月6日、原告が長女を連れて日本に帰国して以降、別居して生活しているが、被告は長期休暇などを利用して日本に帰国して原告及び長女と過ごすことがあり、平成29年4月までは原告に生活費などとして継続的に送金をしており、原告は長女が中学校に入学したころから働いているが、被告からの送金で生活費や長女の学費を賄い、原告及び被告名義の保険料の支払をしていたと認められる。かかる経緯を踏まえると、平成20年6月6日に原告が帰国した時点において、原告と被告の共有財産形成に向けた経済的協力関係が終了したとは認められず、被告が日本に帰国したにもかかわらず原告と別居するに至った平成30年5月1日(本件基準時)をもって、経済的協力関係が終了したとみるべきである。」などと述べて、2018年に被告が帰国した時点が基準時であると判断しました(18頁)。
しかし、被告が「長期休暇などを利用して日本に帰国して原告及び長女と過ごすこと」は、経済的協力関係とは何の関係もないと考えられます。
また、被告が継続的に生活費を送金していたとしても、それがなぜ経済的協力関係が存続していた根拠となるのかも不明です。
②仮に財産分与の基準時を2018年とした場合でも、財産分与の寄与割合については、被告は韓国において30代の若さで1600万円もの年俸を得ており、その後13年も同程度の年俸を得ていたのは、被告の特別の努力や才能によるものだし、その間、原告は日本に帰国してしまい、まったく被告の財産の維持・増殖に寄与していないのだから、少なくとも寄与割合は被告に有利に変更すべきと主張しました。
これに対し、裁判所は、「たとえば、高額所得者や特殊な才能や技能を有する場合に限って、寄与度を変更することはありうるが、本件における被告の年収の金額や、被告が相応の収入を得ていたのは企業内での開発・研究に従事したからであって、あくまで社員として年収を得ていたことなど本件に顕れた事情に鑑みると、特殊な才能や技能を有する場合に当たるとまではいい難く、被告の寄与度を変更すべき特段の事情は認められない。」などと述べて、寄与割合は半々と判断しました(29頁)。
しかし、裁判所の判断では、日本と韓国の収入格差や被告の年齢等について考慮した形跡が認められないだけでなく、なぜ企業内での開発・研究に従事した場合には、特殊な才能や技能を有する場合には当たらないと言えるのかまったく不明です。寄与割合を変更した他の事例では、夫が会社員だった場合もあります(大阪高判平成12年3月8日・判時1744号91頁など)
このように、仙台家庭裁判所の判断には納得がいかない点が多いため、被告は控訴しました。(原告も控訴中)
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第3回 会員コメント
仙台弁護士会所属の弁護士有志による考察

A会員
この判決の理屈だと、2016年ころまで平穏に推移していた夫婦関係が、2017年ころ突如悪化し、その後夫が居場所も告げずにひそかに帰国したことになりますが、別居後、夫婦がほとんど連絡を取っておらず、年に数日しかあっていなかったことを踏まえると、そのようなことは常識的に考えられません。実際は、原告らが日本に戻った後、被告が年に数日自宅に戻っていたのは、長女と会うためだけなので、すでに夫婦関係は破綻しており、その間、経済的協力関係など存在しなかったことは明らかだと思います。
また、30代で1600万円もの年収を13年間にわたって得るのは日本でも難しいと考えられるところ、韓国でこのような収入を得るのは特別の努力や才能がなければ非常に難しいというのは明らかだと思います。また、この判決は、このような事情を無視して、長年同居をしていた夫婦とまったく同じ処理をしていますが、このような結論があまりに常識外れなのは明らかです。本来であれば★5でもよいと思いますが、担当裁判官がまだ経験が浅いことを考慮して、星をひとつ減らして★4としました。

B会員
分与対象財産の確定の基準日の判断内容はもとより、一方で平成20年6月6日に「原告が帰国した時点及び帰国後しばらくの間は、夫婦関係が悪化していたとは認められず」と「しばらく」後は夫婦関係が悪化したかの認定をしておきながら、他方で婚姻関係破綻の時期を平成30年5月1日とし、約10年間もの間の夫婦関係の状態が全く意味不明な認定を行うなど、無理な理屈のオンパレード判決です。
このような判断を行うのも、結局は妻である原告に有利な結論を導くためとしか考えられません。男尊女卑ならぬ女尊男卑の、不公平極まりないトンデモ判決です。

C会員
一言でいうならば、「最初から妻(女性)側を勝たせるとの結論ありきの判決」。この夫婦関係の実態や特殊な事情について一切無視している内容の判決であり、「トンデモ」度は非常に高いと思います。これが妻と夫が逆の立場であれば、全く違った判断がされる可能性が十分あったでしょう。男女平等とは程遠い判決であり、公正・公平な裁判とは到底言えないのではないでしょうか。

D会員
財産分与の基準時については、夫婦の共有財産形成に向けた経済的協力関係が終了したか否かの視点により決すべきである。
ところで、別居を経て離婚に至ったケースにおける財産分与の基準時としては、原則として別居時と考えるべきである。何故なら、別居した夫婦は、特段の事情がない限り、それぞれ別々の経済生活を営んでいるため、共有財産の形成に寄与・貢献するということはあり得ないと考えられるからである。本件においては、平成20年2月に、それまで原告が被告の収入を管理していたのを被告自ら管理するようになっており、その4ヶ月後に原告と被告が別居したことと併せて考えると、平成20年6月6日の別居時に、原告と被告の経済的協力関係が終了したことの1つの根拠と考えるのが自然である。
さらに、平成20年6月6日、原告が長女(当時9歳11ヶ月)を連れて帰国した理由について原判決は何も述べていないが、普通に考えれば、原告と被告の夫婦関係が実質的に破綻していたこと以外に外の理由は考えられない。この点、被告は、原告と被告は、原告が平成20年6月6日に日本に帰国する以前に家庭内別居状態が続いており、既に婚姻関係は破綻していたのであって、同日に別居して以降、婚姻関係は形骸化していたと主張するが、別居に関する原告と被告の主張を比較すると、被告の主張が実態を正確に述べていると評価することができる。原判決は、以上の事実関係の下においても、「平成20年6月6日以降、原告が長女を連れて日本に帰国して以降も、被告は長期休暇などを利用して日本に帰国して原告及び長女と過ごすことがあり、平成29年4月までは原告に生活費などとして継続的に送金をしており、原告は長女が中学校に入学したころから働いているが、被告からの送金で生活費や長女の学費を賄い、原告及び被告名義の保険料の支払をしていたと認められることから、平成20年6月6日に原告が帰国した時点において、原告と被告の共有財産形成に向けた協力関係が終了したとは認めれず、被告が日本に帰国したにもかかわらず原告と別居するに至った平成30年5月1日をもって、経済的協力関係が終了したとみるべきである。」と述べる(18頁)。
しかし、被告が別居後も長期休暇などを利用して日本に帰国して原告及び長女と過ごしたりしたことは、夫婦の経済的協力関係とは無関係であるし、被告が原告に送金を続けた行為は婚姻費用の支払とみることができるのであるから、これらの事情をもって、原告と被告間において夫婦の共有財産形成に向けた経済的協力関係が係属していたと評価することは出来ない。以上よりみて、原告と被告の別居時以降、夫婦の共有財産形成に向けた経済的協力関係を認めるべき特別の事情がない以上、原則どおり、平成20年6月6日の別居時を財産分与の基準時とすべきである。
したがって、これと異なる判断をしている原判決は、事実関係の評価を誤った判決であり、その意味で「トンデモ判決」といえる。

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第2回 事案の概要
原告X1は、友人である被告Y1の車に同乗していたところ、交差点でY1が赤信号無視をして直進しまったため、Y1が運転する乗用車が、交差する道路を青信号で直進していたY2が運転するトレーラーと衝突し、X1は高次脳機能障害を含む重傷を負いました。
X1とその両親であるX2及びX3は、Y1、Y2、そしてY2の雇用主であるY3を被告として損害賠償請求訴訟を提起しました。
本件では、Y1が任意保険に加入していなかったため、Y2及びY3の過失責任の有無が中心的な争点となりました。
この点、Y3は、Y2が運転するトレーラーの運行供用者なので、Y2に過失がないことを立証しなければ、損害賠償責任を免れることはできません(自賠法3条)。
本件事故が発生した交差点は、周りを田畑で囲まれた極めて見通しがよい交差点であるところ、本件が発生したのは午後7時30分ころの夜間で、Y1が運転する車両はヘッドライトをつけていたため、その発見は何十秒も前の地点からも極めて容易でした。であるにもかかわらず、Y2は衝突までわずか2秒手前の地点までY1が運転する車両に気づかなかったと供述していました。
なお、たとえ相手方車両が赤信号を無視した状況でも、容易に信号違反者を発見して衝突を回避し得る場合などには、信号に従っていても過失が認められることは一般に承認されています(別冊判例タイムズ38・207頁など)。
このように、Y2がY1運転車両の発見が遅れたことは明らかだったことから、本件の1審判決は、「Y2は、通常の前方に対する注意を払っていれば、Y2がY1車両に気づいた地点付近よりも手前の地点で、Y1車が信号を無視して本件交差点に進入してくることを予見できたと認めるのが相当である。」と判示し、Y3の運行供用者責任を肯定しました。
この1審判決にY3が不服だったため、Y3は控訴しました。(なお、X1~3も、X1の後遺障害等級認定等に不服だったため、控訴しました。)
控訴審である仙台高裁第3民事部は、判決で次のように述べて、Y3の運行供用者責任を否定しました。
「本件事故は、本件交差点付近が暗い夜間に発生したものである上、周囲には、信号、街灯、民家の灯りなど様々な灯りがあったこと(戊22-9頁)、夜間時の自動車の運転者の視野角度は限られ、予見範囲はヘッドライトが照射されている範囲に限定されると考えられるという知見があること(戊22,23)からすると」、「Y2が通常の前方に対する注意を払っていれば、Y1運転車両を発見した地点よりも手前の地点でY1運転車両の存在を認識することができたとまでは認められないというべきである。」
この判決が述べているのは、田んぼの真ん中の極めて見通しのよい交差点で、夜間、ヘッドライトをつけて進入してきた相手方車両は、「信号、街灯、民家の灯りなど様々な灯り」に紛れて発見することが困難であり、また、自車のヘッドライトに照らされている範囲に入ってこなければ、たとえ相手方車両がヘッドライトをつけていても発見は困難であり、衝突の2秒前まで相手方車両を発見することは不可能ということです。
Y2運転車両は時速50キロで走行していたため、2秒手前だとすでに制動距離を過ぎているため、そこからブレーキをかけても必ず衝突することになります。つまり、この仙台高裁判決によると、ブレーキをかけても絶対に間に合わない地点まで交差点に近づかないと相手方車両に気づくことが不可能ということになります。
このような判示は明らかに常識外れなので、X1~3は最高裁に上告(上告受理申立)しました。
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第2回 会員コメント
仙台弁護士会所属の弁護士有志による考察

A会員
この判決の理屈だと、たとえば信号機の設置されていない田舎道の交差点でも、2秒手前まで相手方車両を発見することができないことになるので、時速50キロ程度で交差点に進入した車同士は必ず衝突することになってしまい、危なくて誰も夜間に運転することはできなくなると思います。極めて見通しのよい交差点でも、衝突2秒手前までヘッドライトをつけた相手方車両を発見することが困難などと述べるこの判決は完全に常識を無視したウルトラトンデモ判決だと思います。(本当であれば、★6か7をつけるべきところです。)
なお、この判決は、X1の後遺障害等級の認定についても、「X1は、現在の勤務状況については、金銭トラブルがあった友人に居場所を知られたくないとの理由で、補助参加人からの再三の釈明を受けても、明らかにせず、5級ないし7級に該当する上で障害となる疑問を払しょくできていない。」などと、述べていますが、記録のどこを見てもこのような事実は存在しません。このように、まったく存在しない事実を述べて、不当に低い後遺障害等級を認定するなど、何が何でもY2及びY3の保険会社を勝たせようという姿勢に徹しています。この判決の主任裁判官は、犯罪被害者に対する心ないツイート等を理由に国会の弾劾裁判を受けている岡口基一裁判官ですが、被害者の心情に寄り添い、その苦痛を理解するという態度に欠ける点は、この判決にも如実に表れていると思います。
なお、このような保険会社びいきの判決が頻発されることにより、保険会社がなかなか和解に応じないという状況が加速されていると思います。

B会員
この判決は,「田舎の田んぼ道のど真ん中の,何もない交差点で,ヘッドライトを付けて走行している自動車を『自動車』であると気付けない」という内容ですが,いくら何でもあり得ないと思います。小学生に聞いても「おかしい」と思うのではないでしょうか。これが,「真っ暗闇の中を徘徊していた認知症のお年寄りをひいてしまった」のであればわかりますが。

C会員
結論が常識に全く整合しないことは無論、本件交差点付近が暗い夜間であることは認めつつも、周囲に信号、街灯、民家の灯りなど様々な灯りがあったとし、前提となる事実認定が曖昧であり、又、夜間時の自動車の運転者の視野角度が限られ、予見範囲がヘッドライトが照射されている範囲に限定されると考えられるという知見があるとの前提を取っておきながら、周囲の灯りの存在は運転者にも認識できるかのような認定も行っており、その結論に至る過程においても自らの論理が全く破綻している、ウルトラトンデモ判決だと思います。

D会員
この判決は、「信号、街灯、民家の灯りなど様々な灯り」と走行している自動車のヘッドライトを混同する可能性があることを前提に判示をしていますが,このような誤認が通常ありえないことは,自動車を運転する人であればわかるのではないでしょうか。その点で,社会常識からは外れた判示と思います。
他方で,本件は「Y1運転車両が赤信号で進入」しているところ,「特別の事情のない限り,信号を無視して交差点に進入してくる車両があることまでを予想する」ところまでは求められない,という,通常とは異なる状況下での判断ですので,トンデモ度は★4つになります。

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第1回 事案の概要
認知症で施設に入所していた原告の母の預貯金につき、原告の母の生前に預貯金等を管理していた親族により、約2300万円の預貯金が引き出され、使途不明になっているため、原告が、その親族を被告として、使途不明の預貯金の返還を求めた事案で、被告は、預貯金を引き出したことを認めつつ、原告の母の意向により、被告やその他の親族に贈与がなされたと主張しました。
このような預貯金の使い込みの事案では、通常、原告は、預貯金がどのように使われたかはあずかり知らないので、被告が預貯金を正当に支出したことを立証しなければならないとされるのが一般的です。しかし、この判決では、被告が主張する預貯金の使途が虚偽であることを原告が立証しなければならないとして、原告の請求を棄却しました。
この判決の控訴審では、預貯金の使途については被告側に立証責任があることを前提とした和解が成立しました。
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第1回 会員コメント
仙台弁護士会所属の弁護士有志による考察

A会員
この裁判では、第1審でも、使途不明金の使途についての立証責任は被告にあることを述べる文献が証拠として提出されたにもかかわらず、担当裁判官はあえてそのような文献を無視して、立証責任が原告にあると判断しており、トンデモ判決度はかなり高いと考えられます。

B会員
この判決の論理によると、原告側は、「被告が主張する預貯金の使途が真実ではないこと」を立証しなければならないことになり、「ないことの証明」、いわゆる「悪魔の証明」をしなければならないことになります。原告側に「不可能」を強いるこの判決のトンデモ度は極めて高いと思います。

C会員
行為者ではない者に行為者が正当にその行為を行わなかったことの立証を求める、まさに「悪魔の証明」を要求するもので,近代裁判においてはあり得ない,トンデモ判決だと思います。

D会員
委任関係について
裁判所は,亡Aが施設に入所する際に,被告に対し,預貯金通帳及び印鑑を委託して,その管理を託したものと認定している(判決14頁)
そうすると,亡Aと被告との間には,預貯金の管理等に関する準委任契約(民法656条)が成立しているものと考えられる。支出に関する認定について
その上で,本判決は,別紙1に「◎」の記載のあるものについては,本件メモに記載はなく,被告の主張からすれば,亡Aや親戚や知人のうち東日本大震災で被災したものに対して,援助をしており,その交付の日時・相手方及び金額については覚えていない旨を認定している(判決16頁)。
しかし,本判決は,上記認定に引き続いて「支援金等については,本件メモに記載されているものと記載されていないものがあるということができる」が,「預貯金の管理全てについて本件メモに記載していたものではないことがうかがわれ」,「亡Aの預貯金の管理体制やその出入金履歴,その記録の有無等を総合すると,被告の上記供述を虚偽のものと断ずることはできず,別紙1に「◎」の記載のあるものについて,被告に不当利得等が成立するものとは認めるに足りない。としている。本判決の問題点について
本判決は,先に亡Aと被告との間で準委任契約の成立を認定しているところ,受任者は委任者のために「善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う(民法644条)」のであるから,上記のような性質上,領収証などが残りにくい支出については殊更にこれを記録に残し,委任の本旨に従って,亡Aの財産である預貯金を適切に管理する必要があった。
したがって,このような性質上領収証などが残りにくい支出については,亡Aとしてもこれを記録することを望むと言えるのであって,仮に記録上支出に関する記載がないのであれば,この支出はなかったか,あってもその支出を受任者である被告が立証すべきであると考えられる。
この点について,本判決は「預貯金の管理全てについて本件メモに記載していたものではない」とし,記録のないものも存在したとして,不当利得の成立を否定している。
しかし,仮にも一個人の財産の預託を受け,準委任関係上の事務処理を行っていたことからすれば,それを適切に記録することはいわば当然であり,本件においても記載がないものを「あった」ものすることは,経験則に反すると言わなければならない。
さらに言えば,本判決が指摘する「記載のなかったもの」は10万円の入金であって(判決17頁),親戚や知人らへの支援金の「数十万から数百万」とは,金銭的にも内容的にも,同列に論じられるものではない。結語
本件では,このような「他にも書いてないものがあった」から,重要な支 出について記載していないことを正当化することは,判決の推認過程からみても極めて問題がある。